本書は清水義範の1986年の短編小説集でユーモラスな作品である。物まねの面白さを狙って執筆したとして、パロディ(毒や風刺)ではなく、フランス語のパスティーシュ(美術などの用語で模倣品、模倣画)というらしい。
ここで問題になるのは、私が一つの作品を除いて全作品の元ネタが分からなかったことだ。我ながら無知だと思った。なので調べてみた。
①「蕎麦ときしめん」は1970年ユダヤ人イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」
評論家・山本七平がユダヤ人イザヤ・ベンダサンとして発表し300万部を超えるベストセラーとなった名著。ユダヤ人との対比で日本人論を展開している。
②「商道をゆく」は1963年司馬遼太郎の「竜馬がゆく」
坂本竜馬の劇的な生涯を中心に、同じ時代をひたむきに生きた若者たちを描く、全8巻の大歴史ロマン
③「序文」は恐らくだが、学術本のトンデモ学説全般に対して
④「猿蟹の賦」は司馬遼太郎風味の「さるかに合戦」
(言わずもがな、私が元ネタを分かったものはこれだけ)
⑤「三人の雀鬼」は1969年~阿佐田 哲也の「麻雀放浪記」
文中に牌活字がしばしば登場する娯楽小説。昭和40年代の麻雀ブームの火付け役になった。
無教養な私には元ネタなんぞわからなくていいのだ。元ネタが分からなくても小説は面白い。
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「蕎麦ときしめん」は転勤で名古屋に移り住み6年の東京人が書いた謎の名古屋人論が展開される。私は名古屋へ行ったことはないが、傍から見る分には興味深い。今はSNSの影響で地方もだんだんと特色が薄まっていると聞くが、どうなんだろう。
「商道をゆく」は主人公の工夫に恐れ入った。
「序文」はかなり面白い。ある比較言語学者が「英語の起源は日本語だ」と主張するのだが例が思ったよりも多く、こじつけ具合がいい。
「猿蟹の賦」は一番分かりやすい。蟹の最後に言う一言が絵本のさるかに合戦とは違う。
「三人の雀鬼」は麻雀知識があるとかなり面白く読めるだろうと思う。だがなんとなく分かる。
まとめ
元ネタが分かるか分からないかで教養のある大人か、それとも無教養なのか焙り出されているような気がした。
私は後々にはこういった教養のある者たちしか分からない元ネタというのが難なくして分かってしまうような、そんな人になりたい。