「あなたが一日だけ他人の感情を感じることができるとしたら、誰の感情を感じますか?」

考えさせられる問題解く

 できることならあの世界的大スターになって多くの人たちから憧れられたり、羨望の眼差しを向けられたときの感情を感じたい。もしくはあの国民的な芸人になって大爆笑をかっさらったときの快感を味わいたい。それとも素朴な小学生の感情を感じてノスタルジックに浸るのも悪くないかもしれない(ちょっと犯罪者っぽいか)。
 しかしこの問題は現代人にとって難しい問題かもしれない。なぜならみな他人の目を気にしすぎてしまっている傾向にあると思うからだ。他人の目を気にするということは、人の自分に対する評価が気になってしょうがないということだ。その日の服装を決めるのにも「いやあ、これじゃあ私にはちょっと派手すぎるんじゃないかな。」とか、普段はうるさくおしゃべりしているのに授業中に先生に当てられたら信じられないくらい声が小さくなってしまうのも、いつも平然とこなしてきた演奏がいざ発表会のときになると手が震えてどうにもこうにも上手くいかなくなってしまうのも、恥をかきたくないという気持ちからなのだ。少し前に「嫌われる勇気」といアドラー心理学の本がベストセラーになっていた時期があった。題名がいかにも私たち臆病者たちが助けを求めてしまうような魅力的な本だ。その本にはこう書かれている。「私たちが抱えるすべての悩み事は人間関係である。」つまりどんな悩み事も結局突き詰めれば人間関係が根底にあるのだ。だとしたら悩む人の多くが他人の感情が気になっていることが原因だということだ。
 そういった悩みなどの話は抜きにしてみると正直に言うと誰の感情も知りたくない。なぜなら知らない方がいいことだってあるはずなのだ。もし私が尊敬するイチローの感情を勝手に共有できてしまったとして、その人が感じること一つ一つが手に取るように分かったときどうなるだろう。彼はプロ野球選手を引退したが今でもトレーニングは続けているはずで、草野球をストイックながら楽しんでいることだろう。最近ではメディアの露出も増えコマーシャルでたびたび見かかたり、自身の考えを公にすることも多くなってきた。元メジャーで活躍していた国宝とも言える彼の指導がSNSに上げられインターネット上でいつでもだれでもどこでも見れる素晴らしい時代。イチローは国宝級の偉人だから一年間365日毎時間毎分毎秒野球のことを考えているにちがいない、むしろそうであってほしい!とイチローを知る人なら誰だってそういう風に考える。しかし、そうもいかない様な気もするのだ。私をイチローと比較するのはおこがましいことは重々承知の上で言うが、ふしだらな感情というのは誰にだって存在すると私の経験則から結論づいている。勿論、「ふしだら」と言っても男女関係だけのことを指しているのではない。例えば「こいつ目障りだからどっか行ってくれないかな。」だとか「この料理は誰が作ったんだ?センスのかけらもないな。」だとかどういった良くない感情ももしかしたらイチローだって抱いている可能性はあるではないか。私たちは当然イチローを神として崇め奉るのだが、イチローだって人間なのであって一般的な感情を持つものではないだろうか。それさえも私が密かに知ってしまったとしたら、後々どうしようもない罪悪感に苛まれることになるのではないだろうか。ましてや万が一イチローが「ふしだら」の男女関係の方の感情を常日頃抱いていたとしたら…….私は二度と立ち直れることはないだろう。
 他人の気持ちを覗き見ることは誰にだって興味のあることに違いない。しかし、それができたとしても誰にだっていい結果をもたらすとは思えないのだ。なによりこれは人権侵害だ。誰だってプライバシーは尊重されるべきなのだ。しかし近年の科学の発達は私たちの知らない間に進んでいる。いつしかそういったことは実現できてしまうのかもしれない。そうなったら日々今よりも他人の目が気になってしょうがない。それとも世界にはそういった装置がすでに生まれていて、今も私の脳みその中を見ず知らずの誰かが覗き見ていたとしたら…。


「オックスフォード&ケンブリッジ大学 世界一『考えさせられる』入試問題」に似た問題をAIに作らせて、この本の回答みたいに文章にしてみたが、知識がほとんどない私にはやはり難しいと実感した。「嫌われる勇気」なんて大昔に読んですっかり頭から内容が抜けているからほとんど書けなかった。そして、読み返すと反吐を吐くほどつまらない。どうしよう。そしてイチローを侮辱した罪に問われそう。やはりこういった問題を解くには知識が多いほど有利だ。知識がない人の答え方というのが見つかればいいな。

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